2022年~の塾生|山本さん

本業と副業が忙しすぎてカリキュラムを挫折し、海外転勤を機にWebデザイン1本の生活を手に入れた
亀井さん(男性・30代)の話

入塾→現場監督の傍らWebデザイン以外の副業に明け暮れる→ぬるま湯入塾→カリキュラム未完走で離脱→2年後海外転勤を機に時間ができぬるま湯へ戻る→無事本職を辞めて沖縄へ移住→合同会社設立へ

亀井さんは2022年8月にぬるま湯塾に参加してくれました。
もともとは3K(きつい・汚い・危険)の現場監督として、
怒号とパワハラが飛び交う職場で働いていた亀井さん。

「いつかこんな職場を辞めてやる!」
様々な副業に挑戦し始めたのが約3年前のこと。

家族を養う必要があるので
平日夜、土日祝…疲れた体に鞭を打って色んな副業をかけ持ちしても、
収入は9,800円〜13万円/月と幅があり、安定した生活とは無縁でした。

当時を振り返ると
すべて全力でやってはいたものの
手探りで始めるので思いがけない失敗を繰り返していたそう。

結局、本業と副業とWebデザイン学習すべてをこなすのは難しく、
ぬるま湯塾の90日カリキュラムを終える前に体力の限界が来て
デザイン学習から離脱してしまいました。

亀井さんがぬるま湯デザイン塾に戻るきっかけとなったのは
海外転勤でサービス残業が減り、時間に余裕が生まれたこと。

「PC一台でどこでも働けるようになりたい」
――そう考えていた亀井さんは、
ふと“途中で投げ出してしまったカリキュラム”の存在を
思い出したそうです。

「一度離れた自分がまた戻ってもいいのか…」
「あのとき投げだしたから、担当講師にもなんだか申し訳ないし」
「今の副業もあるから、平日夜や土日も余裕がないし…」

そんな葛藤の中、
声をかけられたのが先ほど紹介をしたデザイナーの竹田さんでした。

竹田さんから
「ぬるま湯塾は生涯サポートだから、いつでも戻ってきて大丈夫だよ。
実は私もね…」という言葉をもらい、
2年ぶりにレッスンを再開。

副業に使える時間はWebデザインにフルコミットし
担当講師のマンツーマン指導のありがたさを実感したそうです。

ついに2024年の9月にカリキュラム完走!
少しずつデザイン案件も軌道に乗ってきて…
他の副業を手放し、仕事を辞め、念願だった沖縄移住も実現しました。

さらにそのタイミングで開催された沖縄合宿では、
尾上塾長から単価アップの秘訣伝授。

今まで1件15万円で販売していたLPを
当日中に35万円で販売することに成功!

自分のスキルとデザイン1本に集中する方針に自信がつきました。

あらゆる副業に手を出していた3年間は
9,800円〜13万円だった副業収入が、
Webデザインに集中したことで
80,640円 → 185,490円 → 364,600円 → 446,100円 → 665,600円…と上限なく増加。

今では3K(きつい・汚い・危険)どころか
3F(住む場所自由・働く時間自由・働く相手自由)を達成!

さらに収入を増やすため、
デザイン制作だけでなく塾生同士複数名で仕事を分担しつつ、
合同会社設立を果たしました。

<ぬるま湯デザイン塾を受講して(動画では語りつくせない裏側)>

  実は受講中サービス&サポートを活かしきれておらず、成長はゆっくりめでした。
活用すれば効果が高まるのは分かっていましたが親しい人以外にはシャイ(笑)なので
実はスペチャには当時は一度も参加してません。

実績ができてから自信がついて、講師の方にも誘われて参加できるようになりました。
カリキュラムとチャットワークの質問で十分サポートいただいたので、いいかなって。

今振り返ると、課題で十分だと思えたのは1度きりでなくできるまで試行錯誤して
何度も挑戦したからかも。時間を計りながら1課題5回はやって毎回新発見がありましたね。

久しぶりに何かに熱中するのが本当に楽しくて。
それに先生が褒めてくれたので、50を過ぎて誰かに褒められるなんて、久しぶりで嬉しかったから続けました

公開添削は受講中0回。たしか受講終了後に、尾上さんとの卒業面談でおススメされて
思い切って参加しコンペ形式の案件を添削していただきました。

ただ、今みたいに「1開催10件まで添削する」という条件もなかったので、、、
めちゃくちゃ人気で複数案添削してもらってる人もいたし、一人当たりの添削時間が4分ぐらいでも私の作品は17番目の添削。
当時にしては頑張ったけどコンペは落選しました。苦い思い出。

しかも当時はオフライン勉強会も今みたいに頻繁になかったので公開添削はかなり貴重でした。
デスクトップパソコンしかもってなかったので、もしあったとしても人見知りなので参加してなかったかもですが。
(サミット2024でMac Book Airを名刺ビンゴの景品で手に入れたので数年越しにやっと勉強会にも参加できそうです)

そんな過去のぬるま湯も知っているので今の塾生さんは手厚すぎてちょっと羨ましいくらい。
4年前より勉強会も各地であって公開添削もひとり30分ぐらいガッツリ見てもらえてほんと至れり尽くせりですよね

 第1回のサミットが転機になりました。初めて東京のリアルイベント参加して

事務局募集があって…「足も悪いし通勤は嫌いだし、在宅ワークできるなら」と思い
気付けばもう事務局を本業にして3年目になります。


生涯サポートとは聞いてましたが本当に90日後もご縁があるとは、
むしろ今の方がどっぷりとぬるま湯につかってるなんて、
当時は想像もしてなかったです^^

特に昨年は交通事故で足をさらに怪我して今でも松葉杖&リハビリ生活なので、
長時間座ってるのも大変ではありますが。「こういうときでも仕事がある働き方で良かったな〜」としみじみ思います。
極論、利き手が無事なら働けるのは助かります。

  ぬるま湯生にしては珍しいくらい、私は効率重視というより脳筋スタイルでプラチナランカーになりました笑

卒業から半年くらいはダラダラと低単価の案件をやっていましたが、
ぬるま湯塾事務局を始めたことをきっかけに、本業でもデザインと向き合う機会が増えて
スキマ時間でも寝る前でもデザインばかりになり…本気に。

それはもう、今考えると「もうやりたくない、てかできない」ってぐらい本気に。

日中は事務局でチャット対応、夜中にデザインで…カレーの法則でデザインを寝かしてる時には事務局の仲間からの質問に答えたり、周りからは「いつ寝てるの?」ってよく言われたものです。でも事務局のチャット対応も実務に通ずるので本業もスキルアップになったんです。

当時バナー単価は今より安く1000円/件ほど。プラチナランクは直近3カ月で10万円以上の売り上げが必要なので
毎日3つ以上納期ってくらいのペースで納品しました

一番多い月でバナー200枚、少ない月でも100枚
制作の間にLP1本こなして、ついにプラチナランクを達成しました

(ブ、ブラック!!)

今思うと信じられないくらい当時追い込んでいたのですがこの経験があったからこそ、現在のマイペーススタイルが確立してきたのだと思います

クライアントは200名でもなく、100名でもなくたった6名のリピーター

1000円×100の予定が結局想定の3倍以上制作しましたが、私のクライアントはリピーターさんがメインなので時には+αも無料や破格で対応することもしばしばありました。タダ働きではなく、次の案件依頼に繋げるための信頼構築、そしてポートフォリオを充実させたり、ココナラの評価メッセージも充実したりできたのでお金以外の価値をいただいてると思い苦ではなかったです。

結果として目標も達成したので、こういう積み重ねも無駄ではないですよね。
会社員にサービス残業があるように、デザイナーにも下積み時代とか無料でも必要だから作るときはあるんです。
それすら効率が悪いとか、昭和だとか、無駄に思う方は、多分どこでも成功しないと思います。
本気でやりきらない人に、誰もお金を払って依頼しようとは思わないハズです。

だから当時の私はやりきりました。

そんな感じでクライアントにフルコミットしていたので、1回の依頼でも複数回、追加購入(おひねり)していただきました。

追加購入はまとめて1評価になるので評価が55件しかないのが、今となると少しもったいない気がします。
もし1件1件取引していたらエキスパート講師の方にも負けない案件獲得数だったかもしれません

リピーターさんばかりなので

・本当に厳しいときは納期も打診しやすい

・営業の手間もない

・挨拶不要で着手できる

・前提条件の確認や共有もパッと終わるかほぼ省略できたからこそ

制作に専念できていたんだと思います。

 入塾1ヶ月の時に単発でバナー1枚売れたのが初案件です。
低迷期もあり、はじめからどんどん売れるなんてことはありませんでした。

初案件獲得までより、ココナラのプロフィールを整える期間がかなり長かったです。
困ったのはプロフィール作成の奇跡の一枚。
写真は撮るのも映るのも苦手で、自分の写ってるものを家中から探したら13年前の娘の七五三が最新

それでも「登録直後はココナラのアルゴリズム的に優遇されてるから」と聞いて急いで撮影し
「売れてる人をTTM+自分をしっかり売り込む」って信頼している山本先生から指導を受けたから言い訳はやめました。
「この人売れてるけど私の目的とはズレてるな」「この人は想いがピンとこないな」といくつも見て回りました。

黙って作ればいいのに、サンプルバナー5件も「業種は?どんな内容が良いの?」とか
優柔不断さが爆発してワタワタでした。毎週出してた週報すら忘れるくらい焦りましたね。

何とか必要項目は揃えて、自己紹介をとにかくガリガリ書いて
「ぬるま湯塾と山本先生が私のバックにはついているんだ!」と清水の舞台から飛び降りたつもりで
「えいやっ!」と必死に出品ボタンを押し、その勢いでFacebookとTwitterでも宣伝したり
自分に対してお気に入り追加やフォローをしてくれた方にお礼メールを送ってみました。

案件が取りやすいと聞いていた、情報商材や占い系の方には営業もしてみました。

色々やってたらある日突然、
いきなり依頼が来て売れてしまい自分でもびっくり。



当時はぬるま湯のカリキュラム未完走、
偶然取れちゃっただけのほぼ初心者デザイナーだったので22時過ぎていましたが……急いで担当講師の方に連絡しました。

今見ると「こんばんは」すらまともに入力できないくらい驚きと慌てようですね笑

初案件ということもあり、23時頃の夜遅くでも親身に返信してくれて、
そこから興奮止まぬままの私につきあって0時過ぎまで相談に乗ってくれました。
講師の方の存在はメンターとして本当にありがたいです。

人見知りなのも相まって、当時は雲の上の存在のようなあの尾上さんに直接添削してもらうのもハードルが高く
「どうやって尾上さんに添削依頼すればいいんでしょう?」なんて質問もしたくらいです。


翌日の夕方、尾上さんに相談して何度も添削してもらって
何とかOKが出たものを受注から2日後には納品したので無事、初めての評価も5.0の満点をいただきました

※2021年当時のため現在は塾生コミュニティのスペチャかプラチナランカー専用のチャットでのみ尾上塾長にご相談可能です

さらに、この期間は担当講師の方のご協力のもとカリキュラムより実務に集中できたので先生にも感謝し尽せません。

その成功体験もあってか、カリキュラムも好調に。受講終了日当日の23時58分に最終課題が終わり、期間内完走を遂げることができました

 1件やると2件目のハードルは下がりましたね。でも、そこからが本番でした。

完走後はココナラに集中し毎月10件ずつ案件応募してそれでもやっと1件獲得って感じでした。
でも「このペースじゃあ食ってけないなぁ」「制作より応募文章書いてる時間の方が多いわ」」と思って
ジャンルを絞らずどんどん挑戦するようになったり……試行錯誤の日々でした。
(本来こういう時こそスペチャで先輩や尾上さんからアドバイスをいただくタイミングですね。
前述の通り私は4年前の生徒なので今より失敗事例や成功事例の共有の場が少なかった時代です)

ただ、売れてないときでも小さな成長の兆しはありました。なぜかココナラのバナー・ヘッダーデザインカテゴリで私の出品が1ページ目に出てくるようになったのを見かけて、偶然かもしれないけど嬉しくなって。努力が少しずつ見える形になってきた気がしたので、細々とココナラのプロフィールや出品を改善し続けました。

こういう小さいことでも講師の方に報告してたから90日以降も変わらず相談しやすい関係性が築けていました。

それから低迷期が続きましたがぬるま湯で習ったことを愚直に信じて
提案の手を休めることなくバナーは1か月で40枚ほど制作し、クリスマスですらほろ酔い気味に、シャンパン片手に1日に5件納品してました笑
(採用率は少しずつ上がったにせよ、300〜400件ぐらい一ヶ月で提案していたのかもしれません) 

それからまだまだ低迷期が続き、原点に立ち返ろうと思いチャットを見返していると


ぬるま湯の3カ月の受講期間が終了したとき

尾上さんに卒業面談をしていただいて案件終了後のアプローチ方法を教わったのを思い出し、
思い切って案件獲得方法を変えてみることにました。それが転機になったのです。

入塾1ヶ月の時に買ってくれた私の初めてのお客さんに
「あれからいかがですか?」とご機嫌伺いのメールを送ったらそこから毎月10枚以上のバナー作成依頼が届くようになりました。


約5カ月後、信頼関係を積み重ねてきたことと尾上さんのアドバイスもあり
ここから初めて、バナー単価ではなく「制作にかかる時間 × 自分に求める時給」
で見積もり提案をするプロのデザイナーとしての働き方が始まりました


バナー1案件制作中に「追加で3枚!」と依頼を受けおひねり支払いと同時に「9月に使うバナーを~」とさらに追加購入がどんどんあって。
いつの間にやらプラチナに…って感じです。

あまりにもトーク内で依頼が届くので流石にメモとかでは管理できず
リピーターさんとはTrelloのアプリで進捗を連携管理しながら必死に納品してた記憶があります。

プラチナランカーになるとアルゴリズムで優先的に表示されるので勝手に依頼がどんどん来ちゃいます。
元々本業ではなく副業希望なので「月10万円とまでいかなくとも数万円あればいいや」と。緩くリピーターさんのみと継続しています。

今は敢えてランクをブロンズへ調整し、ステータスを「忙しい」に変えて急な案件を予防しつつ、
新規案件はかなり抑えて自分のペースでコツコツやってます。
ブロンズランクにしては実績があるので、たまに新規の依頼が来ちゃいますが、それもご縁だと思って引き受けることもあります。

 考え方を変えたからです。プラチナランカーって上位1%なので
デザイン力もとんでもない方の集まりだと初めは思っていました。

でも実際はチャット対応力と少しのデザインスキルがあればココナラでの案件獲得には十分だったんです。

元々そこまでプラス思考ではないので「デザイン経験のない私には…」と思っていましたが
ランクアップの条件を確認したら「何だバナー1000円を100件やればいいんだ」って思い直しました。
私は天才ではないですが、小さいことをコツコツと積み重ねるくらいならできます。

幸い子どもたちにパソコンを教えていた経験と秘書検定の資格は持っていたので
クライアントがデザインの知識0でも意図を分かりやすく伝える言語化力と社会人として最低限必要なマナーはありましたし。

ココナラのお客さんの大半は「プロに任せたい」のではなく
「60%の出来でもいいから、納期までに形にしてくれる信頼できる人を探してる」
だから私は納期を守って信頼できる人として活動することにしました。

当たり前のことをただ300回以上ひたすら繰り返しただけ。
どんな事にでも真摯に向き合い、相手の依頼を断らずとにかく納品し続け信頼を獲得した。ただそれだけなんです

  デザイナーよりも事務局が天職、デザインは副業

「プラチナランカーにもなってどうして?」と思うかもしれませんが

私がプラチナランカーになったきっかけの一つに
事務局を始めて、”後輩デザイナーの入塾時の熱意や行動力に感化されてやる気スイッチが入ったから”というのがあります。信じられないかもしれませんが、ぬるま湯塾生の方って入塾時に平均2000文字とか、ときには1万文字以上の熱い想いや目標を送ってくれます。

こういう本気の方を応援し、結果を出してほしいな」って。

教育者魂というか、なんでしょね。生徒さんを生涯支えるなら、ただ事務的な受け答えだけでなく、
私も先輩デザイナーとして実践的なアドバイスもできるようになりたかったというのもあります。


元々子どもたちにパソコンを教えていて、人が成長する姿を支えるのが好きだったことを思い出したんです。
なんだか過去の経験がふと点と点で繋がった感じ。

プラチナランク時代に死ぬ気で培ったクライアントの問題解決を最優先にする
”デザイン思考”が仕事の役に立ってるので本質は何も変わりません。
私の今の仕事は幸せなWebデザイナーをサポートするカスタマーサクセスです。

▼おまけ|事務局コンペのバナー:本業(=事務局)中にLive出版からいただいたバナー案件
今見るとしょぼくて笑うけど、意外と好評でお申込みはあったので多少なりとも貢献出来て良かったです^^

<入塾前の様子>

 50代からデザイン学習開始/デザインはほぼ未経験

前職:子どもたちにパソコンを教えるインストラクター
(パワポ作成などは経験あり)

2021年6月ぬるま湯塾入塾→9月卒→2022年1月事務局へ

出産前はCADメーカーでインストラクター・講師、それに伴う資料作成を7年、
その後はしばらく専業主婦をしていましたが、子ども達の入園入学を機に社会復帰
はんこ屋さんで名刺やハガキ、印影・ゴム印などのデザイン制作を3年、
小中学校のICT支援を5年、社会福祉法人の総務を5年勤めました。
実際デザインをしていた頃は平成初期~中期でしたので、知識も技術も古いまま。
思い切ってwebスクールに入り最新のデザインなどを学び始めました。

その状態から

ぬるま湯デザイン塾を90日目で完走

→半年間低単価案件でも数をこなす

→事務局へ(昼は事務局、夜は案件)

→事務局をきっかけに本業もデザインがある環境になり、プラチナランク達成 →開業届を出すという状況まで成長しました

  WEBデザインは全く知らず、申し訳ないんですがWEBデザイナーって何?というレベルからのスタートでした。
パソコンは仕事でも自宅でも使っていて、ExcelやPowerPointなどは日常的に使用していましたが、
Photoshopは遥か昔にちょっと触った程度でほとんど覚えていなかったので「初めまして」状態でした。

通勤に不安を感じていて、在宅でできる仕事を探していました。
というのも20年以上東北に住んでいて車通勤をしていた時には無かったのですが、
関東に戻ってきて電車通勤になり、10年程前から足に麻痺があったりコロナ禍だったりで満員電車に乗るのが辛く、
在宅で仕事をしたいと強く思うようになっていました。

データ入力などの仕事を見つけたりもしたのですが、決められた作業を何時間も黙々とこなすのは私の性に合わず、
できればもう少し頭を使えて楽しくできる仕事は無いのかなと思っていたところ、こちらのセミナーを見つけて申し込みました。

50代という年齢です。新しい事を覚えていけるのか、身に付くのか、自分がやっていけるのか、
最後までやり遂げられるか、などマイナス思考ばかりでした。

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